産後うつになってから、自分はどうして産後うつになったんだろうといろいろ書き出してみたら、想像以上にストレスがかかっていたので、少し共有してみたいと思います。

• 妊娠中にどんどん太っていく自分の体。周りはマタニティフォトをとったり、妊婦生活を楽しめているのに、自分だけ重度妊娠悪阻で外出すらままならなかった。妊婦になった自分の体嫌すぎて、マタニティフォト以前に妊婦姿の写真すらとりたくなかったし、自分の情けない妊婦姿を友達に見られることすら全力で嫌で、誰にも会いたくなかった。今考えたら、この時点でブルーだな。
• 出産は、絶対に絶対に自然分娩にして、自分の子供が体から出てくる瞬間を全力で感じたいと思っていたけど、想像以上の難産、分娩台で痛みで吐き続け、麻酔をしても効かない、帝王切開直前で32時間かけて産んだ。本当にトラウマで、自然分娩できなかった自分も本当に嫌で嫌でたまらなかった。
• 育児が始まってから、絶対に絶対に完母で育てたいというこだわりはどんどん強くなっていて、そのせいで息子が退院してから激痩せしてしまい、水分不足で黄疸まで出てしまった。入院中は大部屋にしたせいで一睡もできずに、3日間寝られなくて旦那に号泣していた。
• 母乳へのこだわりはどんどんどんどん強くなっていって、気づいたら哺乳瓶ですら使いたくないほど病的にこだわっていた。哺乳瓶を使っておっぱいを飲んでくれなったらどうしようとかいう不安がものすごく強かった。
• こんなに可愛い孫が生まれたのに、実母はインスタに複雑な気分と投稿したり、私は子供が好きではないとか、預けたいとたのんだら、奴隷だと思うなとか、育児は一人でするもの、それが嫌なら住み込みのベビーシッターを雇えとか、散々酷いことばを浴びせられた。これはかなりトラウマで、どこにっても初孫で嬉しいでしょ?と聞かれるのが気まずかった。
• 今まで激務だったのに、いきなり家の中で毎日一人だけ予定もなく生活になって毎日子供二人と何をすればいいのかわからなかった。毎朝予定がなくて少し動悸がしていた。児童館にいって、誰かママ友に出会えることを期待したけど、コロナもあって、誰も参加しなくて心細かった。
• コロナが心配すぎて、真夏なのにベビーカーにレインカバーをしてたり、空気中にアルコールスプレーをまいたりして歩いていた。今考えたら異常なほどの心配
• 離乳食は全部オーガニックの野菜で自分で作らないといけない、作りたかった。それにこだわってレトルトをあげたことはほとんどなし。レトルトをあげると、強い罪悪感や不安感から泣いていた。
• 夜泣きがひどかったけど、自分がママなんだからと、絶対に誰にも預けることはできなかった。
• 息子の人見知りがはげしくて、児童館にいっても2時間泣きっぱなし。どうして他の赤ちゃんは普通に遊べるのに、息子だけずっと泣いているんだろうって心が限界だった。
• 息子の成長が本当におそくて、首が座らないのも少し心配だったけど、寝返りもまったくしない、座るのも不安定、児童館では他の赤ちゃんはどんどんずりばいやハイハイをしているのに、息子だけ全然できなかった。10ヶ月目でやっとずりばいができるようになったけど、ハイハイは1歳3ヶ月くらいだった。本当に遅くて遅くて、この心配から産後うつっぽくなっていった。
• 息子のカフェオレ飯が多くて、生まれて数ヶ月した頃から、レックリンハウゼン病の疑いがあって、インターネットで調べたら恐怖の画像ばかりでてきて、心が限界になる。
• アトピー疑惑で、3ヶ月くらいずっと肌荒れがひどくて、アトピーだったらどうしよう、画像検索しまくってこれも心が折れる原因の一つとなる。この時点ですでにもう心がすり減りまくって、エネルギーが低下していった。外出散歩にいったも何もないのに泣けてくる。産後のホルモンかな?と思っていたが、この時点で完全にうつ状態だった。子供と一緒にいるのが怖くて、家にいるときは旦那にあずけて自分はずっと洗濯しているとほっとしていた。こんなことを認めるのがこわくて、誰にも言えなかった。
• 限界をむかえたときに一時保育をみつけて預け始めたけど、毎回怖がってなく息子が可哀想でずっと動悸がしていた。心は休まらなかったし、お迎えにいくと動悸がしていた。
• 自分が妊娠中に激太りしたり、育児でキャリア停滞してうつ状態にある中で、インスタを開くと友達が転職に成功していたり、みんながいろいろ成功していて自分だけ鳥に越された気分だった。
• 周りのあかちゃんが全く夜泣きもなしで、カフェにいったりできるなか、息子は場所見知りも人見知りも炸裂していて、なんで自分だけカフェにいけないんだろう。なんで自分だけ子供がずっと夜泣きをしているんだろう。なんで?なんで?なんで?ってかんじだった。本当に辛かった。毎晩イライラしていた。
• 子供が産まれても絶対に絶対に散らかった部屋には住みたくない、それは負け組だという思いから、必ずピカピカになるレベルで掃除をしていた。今思えば産後の強迫性障害でした。